現存する最古国産自動車『アロー号』

芦屋町町制施行130周年記念特別展示矢野倖一展~探求心と技術者の魂~

写真提供:株式会社矢野特殊自動車


日本の自動車産業発展に一石を投じた男、矢野倖一。糟屋郡新宮町の株式会社矢野特殊自動車の創業者である。

1892年(明治25年)福岡県遠賀郡芦屋町の酒造業の長男として誕生。

1909年(明治42年)福岡県福岡工業学校機械科(現在の福岡工業高校)に入学。その後、矢野は、飛行機に魅せられ、ガソリンエンジン搭載の模型飛行機の製作に夢中になる。

1912年(明治45年)、19歳の時に福岡日日新聞社主催の模型飛行機大会で、ガソリンエンジン搭載の模型飛行機を出品し、最優秀賞を受賞。ゴム動力機ばかりの大会の中に、唯一のガソリンエンジン搭載機は、矢野の手を離れた途端に、草むらにダウン。

大空を舞うことはなかったものの、審査員たちを驚かせた。

この時、まだ工業学校3年生である。

この大会での受賞は新聞で大きく取り上げられ、矢野のもとに、運輸業で財を成した、実業家の村上義太郎氏が学校に訪ねてきた。

ここから彼の人生は、飛行機から自動車に、どちらも同じガソリンエンジンで、現実味がある自動車の研究に着手することを決めた。

その後村上氏が彼に出した課題が、フランス製の1人乗り4輪自動車を2人乗りの4輪自動車に改造、修理することであった。

完成はしたものの満足に走るほどではなかったのも事実である。

1913年(大正2年)福岡工業学校を卒業後、村上氏の出資により、小型の純国産日本製自動車を作ることとなる。

タイヤ、プラグ、マグネットは外国製品を使うものの、他は全て自分で製作することとし、全て手作りの作業が開始される。

2年半で試運転を行うも、エンジンの調子が悪かったのだが、第一次世界大戦の最中、福岡にドイツ人捕虜が収容されていて、その中にベンツ社のエンジニアがいた。

会いに行ってみてもらうと、キャブレターが悪いことが判明し、英国製のものを入手。そのおかげで快調に走り始めた。

丸3年をかけ、いろんな問題を何度もクリアしながら、1916年(大正5年)ついに『アロー号』は完成する。

既に国産自動車は作られていた為、初の国産自動車ではなかったが、一個人が独力で車を製作したことは大きな快挙であり、現存する最古の国産自動車として2009年(平成21年)機械遺産に認定される。

2016年(平成28年)にアロー号完成100周年を祝して『走るアロー号』と題したイベントを開催。福岡市博物館にて走行会が行われ、今でも健在ぶりを発揮した。

矢野倖一のことは、Amazonで発売中の『福岡工業学校列伝』Ⅱを、是非とも一度読んで頂きたい。ここで語りつくせない数々の偉業が掲載されており、矢野が代表を務めた矢野特殊自動車が、矢野倖一のモノ造りに対する魂を受け継いでいることをあらためて実感させられる書物である。


福岡工業学校列伝
福岡工業高等学校の先輩及び先生の事が書かれている非常に貴重な資料満載。Amazonにて1,980円〜好評発売中!

現在アロー号は福岡市博物館に常設展示されているが、矢野倖一の生まれ故郷、遠賀郡芦屋町町制施行130周年記念特別展として『矢野倖一展 ~探求心と技術者の魂~』を開催する。今回の特別展で、アロー号と、矢野が自分の手足のように使っていた、卓上旋盤も特別展示する。
(卓上旋盤は、福岡工業高等学校歴史資料館より貸し出し)

芦屋町に生を受け、偉大な足跡を遺し、将来に語り継ぐべき人物として、矢野倖一に白羽の矢が立った。

今日の自動車社会を語る上では欠かせない業績と思想を追い、成し得たことを称えるとともに、生誕地芦屋との関わりに重点をおいた展示が行われる。

矢野倖一の事をもっと知りたいと思われたあなた、是非、足を運んで頂きたい。

取材協力
株式会社矢野特殊自動車

芦屋町町制施行130周年記念特別展示
矢野倖一展
~探求心と技術者の魂~
令和3年10月27日水曜日~令和4年1月30日日曜日
(アロー号展示は10月27日から11月28日まで)

芦屋歴史の里
〒807-0141
福岡県遠賀郡芦屋町大字山鹿1200
TEL093-222-2555